「批判的検討」

 北京五輪は,さまざまな問題を置いてけぼりにしつつ無事終わり,野球日本代表は「金しか要らない」ということば通りの結果に終わった。

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 星野監督が批判されるのはわかる。選抜からはじまり,起用法,個々の采配,いくらでも言いたいことはあるだろう。私もある。

 しかし,さらに人格非難まで行われる。そんなもんだから,言われているほうも「バッシング」と受け取り,「時間が止まっている人間」(星野),「ヒマな奴には言わせておけ」(某スタッフにおける星野発言の解釈)と,正当な意見にすら聞く耳を持たない。もっともこういう「野球即我人生」のような人にとっては,「采配批判即人格非難」になるのかも知れないが。これではいつまで経っても強くならない。

 privateに属することは反証可能性がないから,それはさておき,publicの場では批判的検討をすべき。しかし大前提たるそのpublic自体が成り立っていない(ゆえにprivateもない)云々……などと,どこかで聞いたようなこと*1を混ぜ混ぜしたような話になってきたが,概ねそういうところに根本的な問題がある気がしてならない。この問題だけの話ではなくて。

 一朝一夕にこれを変えることはできないだろうけれどな。

*1:おそらく楽天の今年のゴールデンルーキー(仮名)とか鍜山親方(仮名)とかm(以下私は小物なので言える訳がない)(仮名)に聞いたこと。