『HALF』という選択肢はなかったか
富士フイルム株式会社(社長:古森 重隆)は、エイジングケアを目的としたスキンケア化粧品シリーズ「ASTALIFT(アスタリフト)」をアピールするTVCMを6月28日(土)より全国にて大量放映いたします。
(中略)
今夏から、「ASTALIFT」シリーズイメージキャラクターとして、日本を代表する女性シンガーソングライターの1人でその実力から圧倒的な存在感のある「中島みゆき」さんと、アイドル歌手として大活躍し、現在も女性から熱烈な支持を得ている「松田聖子」さんが登場いたします。(後略)
ブーッ!(AAry
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CM出演はサッポロビール「北海道生搾り」以来。化粧品は初めて*1。えーと,カメラはタムジン氏並みのボカシでお願いします,(以下自主規制)
いや〜紅白以来の「娘の参観日に来た親の気持ち」だな。
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今夏のTVCMでは、日本を代表するミュージシャンのお二人の代表的な楽曲(♪「時代」*2、♪「渚のバルコニー」)が互いに交換する形で、それぞれのCM のバックで流れます。さらに、音楽に合わせて、「中島みゆき」さん、「松田聖子」さんがその歌をハミングするシーンも登場するなど、非常に魅力的な構成となっています。
(引用元同じ)
ナカジマが他人の歌を歌うとはなぁ……*3。
それはともかく,個人的には『時代』よりむしろ『HALF』*4(Al.14-7・1986,LA1‐4・1987)を歌えば面白かったかも知れない,と。
松田聖子女史といえば,郷ひろみ卿との破局会見(1985年)で泣きじゃくりながら「『生まれ変わったら一緒になろうね』と(郷に)言った」(大意)と言ったのが印象的である。その後すぐに神田正輝と結婚してしまい,誓いというものの不確かさ,はかなさを思い知ったものである(いやその当時はそんなこと考えるトシではなかったんだが,今振り返ってみればそう思う)。
『HALF』の女は,来世で誓いを守ることができるのだろうか……また現世あるいはと同じことを繰り返す可能性が高いような気がしないでもない。人間は罪なき存在ではいられないゆえに。
副都心線に閉じ込められた
(元)出先に行くのに都合がいいわけです,副都心線。(今のところ)渋谷始発だし,乗換えの池袋からの丸の内線も始発だし。池袋でも思ったより歩かない。あとはどれくらい時間がかかるか。で,測りながら帰ってきた。
「不慣れのため」遅延という,面白い現象が起こっていた。
西早稲田で時間調整,東新宿で急行通過待ちのはずが,その急行が遅延しているので10分待ち,さらに北参道‐明治神宮前間で渋谷で電車が詰まってさらに10分待ち,ここでは携帯は圏外。とどめに明治神宮前で「対向列車待ち」で,ホームに中途半端にしか進入できず。
結局30分余計にかかった。頑張れ副都心線(と有楽町線と西武線と東武線)の関係者様。
そのせいか,客入りは……キーボードのUからQに書いておいた*1。
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よく誤解されます*2が,私は鉄ではありません。
例の事件関係
福島民報に電話「秋葉原と同じことやる」(スポニチWeb版2008年6月11日)
11日午前11時半ごろ、福島市太田町の福島民報社に若い男の声で「秋葉原の事件と同じようなことをやる」と電話があった。同社から通報を受けた福島署がJR福島駅前を中心に約30人態勢で警戒したが、異常はなかった。(後略)
俺ではありません,為念。
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「私は愛が欲しい訳でも、愛して欲しい訳でもないのです。精一杯、誰かを愛したい…。愛してる証が欲しいのです」
……と,被疑者は書いていたらしい(孫引きだが)。ホントかよ,とも思うのだが,彼女がいないことを引け目に感じていたとか何とか。それがこの事件の直接の原因というのは違うだろうが,こういう土壌もあったということは,関係の強度はともかく,まあそうなのだろう。
似たようなことを思っていたものだ。一瞬,私ももうひとりの加藤になるんじゃないかと思ったが,すぐにそれは否定された。
加藤側に堕ちた分水嶺は,「誰かを愛したい」は,「愛する」ことそのものが重要で,その主体の自分こそが中心,それ以外の者は,たとえその相手であろうとどうでもいい存在である(だから「誰か」は,極論,誰でもいい)という点ではないかと。「あなたが探していたのは 私の今夜の愛じゃなく/誰かを愛していた頃の/キラキラ 光るあなた」(『つめたい別れ』[中島Sg.17−1,1985]より)と言えばカッコはいいが,今回のはシャレにならん。
誰か,具体的な人は見えていなかったのかなあ……?
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とはいえ,そういやナカジマ*1にも「もしも私に勇気があれば ここで貴方を殺したかった/あの娘にあげる心はあげる せめて私に命をほしい」(『それ以上言わないで』[中島Al.13−4,1985]より)なんていうバイオレンスなのがあったな……。近代の恋愛ってのは,自我が極大に肥大するというのは,あるいは案外正しいのか。